講師紹介

奥田 千恵子

奥田 千恵子(おくだ・ちえこ)
Okuda Chieko
音楽療法セラピスト
フェイスストレッチング協会会員・講師

  • 玉川学園高等部を経て、玉川大学 芸術学科 音楽専攻 声楽科卒
  • 音楽療法セラピスト(R)
  • 堀田 圭江子(ほりた・けえこ)音楽療法セラピスト養成講座 修了
  • フェイスストレッチング協会会員・講師
    フェイスストレッチング講師養成講座 修了

ごあいさつ

ごあいさつ

声楽家・音楽療法セラピストの奥田 千恵子です。
読んでくださってありがとうございます。

ハッピーシャワータイムでは、歌の上手/下手は関係なく、気持ち良く声を出して、自分を解放することを目指しています。

童謡や唱歌の歌詞は、国文学者が書いたり、和歌や古典文学の一節を引用したりしたものが多く、大和ことばがたくさん使われています。
難しい言葉ばかりの歌詞であっても、一つひとつの言葉をひもといていくと、そこには健気に生きる命へのまなざしがあったり、美しい故郷のイメージが静かに横たわっていたりします。
そうして歌詞を味わうと、なつかしい情景や情緒がふつふつと浮かび上がってきます。

周りの仲間の声と、自分の声が溶けあった時、自分自身が持つパワーに感激しますよ。

うたの思い出

うたの思い出

「下手ねえ」と言われて

「うた」に関する私の一番古い記憶は、4~5歳の頃「千恵子は歌が下手ねえ」と母に言われたことです。
それ以来ずっと、自分は歌が下手で、私が歌うのは恥ずかしいんだと思いこんできました。

その後、玉川学園高等部に入学しました。
この3年間、学園ではずっと歌・歌・歌。
普通科でありながら、毎朝、週番の生徒が朝礼台に立ってタクトを振ると、全校生徒が自然と歌いながら集まってくるような教育をしている学校でした。
私は「自称・下手」なりに、夢中で歌っていた3年間、今にして思えば、全校生徒と声を合わせる喜びにひたっていました。
もともとピアノ科に進もうと思っていたのですが、高等部3年生の時に「声楽科に進んではどうか」と言われ、歌が下手だと思い込んでいた私はとても驚いたものです。
しかし、そうして進んだ大学ではメゾソプラノだと言われ、ソプラノに憧れていた私は、「下手ねえ」に次ぐショックを受けてしまいます。それでもメゾソプラノ 歌手として、4年間歌の勉強に没頭しました。

波乱万丈の30、40代

その後、結婚しましたが、結婚生活は波乱万丈。子どもたちを連れて家を飛び出しました。
幸い、就職先はすぐ見つかったものの、ワンマン経営者のもとで毎日十数時間働く日々・・・。もちろん、音楽とは無縁の日々でした。
でもある時、勤務先で子ども向けの企画が始まり、母校玉川学園の小学部の子どもたちに会いました。玉川の子たちだけあって、歌うんです。すぐ歌うし、いつも歌っている。「やっぱり歌はいいなあ。歌ってなんでこんなに子どもたちを元気にするんだろう・・・」としみじみ思いました。

連勤に次ぐ連勤で、休日もほとんどない状態のある日、仕事の関係で母校玉川学園の小学部音楽祭に招待されました。子どもたちの素晴らしい歌声に感動した後、会場全員で校歌を歌う場面となりました。
感動のあまり、私は思いのたけを声に出して一緒に歌っていました。
すると前列にいらした学園長が、くるっと後ろを振り返り、
「思い出した? 第九、歌ってみる?」

10月から練習が始まる「玉川の『第九』」に参加してはどうかと誘われたのです。「玉川の『第九』」とは、ベートーヴェン『交響曲第九番 合唱付き』を、玉川学園の生徒・学生、卒業生、教員らで演奏する、伝統ある行事です。思いもよらぬお誘いに胸が熱くなりました。
こんな状態で、定期的に練習に参加することなんてできるのかと不安でしたが、「私も歌いたい」という気持ちがムクムクとわいてきて、参加することに。

音楽療法との出会い

音楽療法との出会い

体が動かない! 声が出ない!

そして、いよいよ「第九」の練習が始まるという時期になったころ、長年の無理がたたってか、ついに体が思うように動かなくなりました。仕事にも行けず、家事もできず、起き上がれなくなって、私の人生はこのまま終わるのかな・・・とぼんやり考えるばかり。
それでも学園長との約束をキャンセルするわけには行かないから、と這うようにして練習会場へ行きました。でも、行っただけで、歌わずじまい。声が出ないのです。
子どもたちの後押しもあり、歌えなくてもとにかく出席だけはしようと、練習に「行く」だけはしているうち、少しずつ、声が戻ってきました。体も動くようになりました。
自分は歌えなくても、仲間たちの歌声の中に身を置いただけで、心も体も回復していくことに、とてもとても驚きました。歌を歌うことでパワーがよみがえってくる!と改めて気付かされ、「歌とは元気になるだけではなく、パワーまでわいてくるんだ!」と実感しました。

堀田圭江子先生

そんなある日、会社の同僚に「奥田さん、音楽療法って知ってる? すばらしいらしいですよ。奥田さん、歌が好きなんでしょう? 向いてるんじゃない?」と言われました。「音楽療法」という言葉を聞いたのはこの時が初めてです。
もともと、高校大学と歌のパワーを実感していたこと、子どもの歌で元気がよみがえったこと、自分の体の復活を「音楽」によるものだと確信していたこともあり、すぐに音楽療法について調べ、めぐりあったのが、堀田圭江子先生です。2012年7月のセミナーに参加し、今まで、「音楽ってすごいな」「歌って楽しいな」「どうして、みんなで歌うともっと楽しいんだろう」と漠然と感じていたことが明快に言語化されて、世界が広くなった気がしました。

名付け親は蒲山輝男先生

音楽の持つ力を自分の体で実感した私は、本格的に音楽療法を学ぶため、ついに会社を辞めました。フェイスストレッチングのトレーニングを開始したのもこの時です。
堀田先生と介護施設を回り、細大漏らさず吸収したくて、先生にぴったりくっついていました。講座もきちんと受けて、セラピストの資格を得ました。
堀田先生と過ごしたことで、私の人生は大きく変わります。自分の音楽でどんなことをやりたいのか、明確に見えてきたからです。

そして2014年、ハッピーシャワータイムを立ち上げました。
「ハッピーシャワータイム」という名をつけてくれたのは、母校玉川学園の蒲山輝男先生です。「いつか、玉川でやったような歌の活動を、たくさんの人と一緒にやりたい」と話した時、「その夢がかなった時、会の名前は『ハッピーシャワータイム』というのはどうだ」と言われたのです。
名付け親の蒲山先生は、2014年4月にこの世を後にされました。ハッピーシャワータイムの歌声をお届けすることができなかったことが、本当に悲しくて残念でなりません。

自分らしく輝いてください

自分らしく輝いてください

イタリア人の歌の先生

60歳になり、イタリアでヴェルディのオペラ『アイーダ』の合唱に参加することになりました。そこで素晴らしい出会いがありました。声楽家の先生が個人レッスンをしてくださることになったのです。
その時もらった曲が、ビゼーのオペラ『カルメン』の「恋は野の鳥」、通称「ハバネラ」でした。メゾソプラノの名曲です。先生は「あなたは、良い意味で低音に暗い響きを持っている。それは神様からのプレゼントだ」とおっしゃいました。
メゾだと言われて、憧れのソプラノを諦めた私ですが、あるがままの自分の声が神様からのプレゼントだと言われて、それまで自分で張り巡らしていた心の壁が、音を立てて一息に崩れていきました。
同時に、私も、生徒さんたちが持っている声の良さにもっと気付いて、今よりもっと輝きを増すお手伝いがしたいと強く思いました。
先生が来日する際に時間を取っていただいたり、私が渡伊したりして、レッスンを受け続けています。

ハッピーシャワータイム講師 奥田先生

女性の人生に寄り添う応援団長でありたい

女性の人生は「として」がとても多いものです。
妻として、時に嫁として、また実の娘として――
母として、子育てが終わったら今度は祖母として――
仕事・家事・育児・親の介護・孫のお守り。
ご自身の闘病や、パートナーの闘病の支援。

そんな中、皆さんが本来持っている、
「自分の元気」
「自分らしさ」
「自分の声」
「自分の表情」
が、今よりも輝きを増していくよう、応援団長であり続けていきたいと思っています。

歌うことは、おなかにあるものを思いきり吐きだすことです。
さあ!今日も大きな声で、美しい歌をうたいましょう!

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