「里の秋」 作詞 斎藤信夫 作曲 海沼実
この歌は、静かな田舎の秋の風景を歌っていると私はずっと思っていました。
童謡は作られた時のいろいろな背景、そして年月を重ねてその時代時代に合わせて歌詞が書き換えられたものが沢山あります。
それにしても最近、「里の秋」はあまり聞かなくなりましたね。
歌われても1番2番まで、3番をご存じない方も多くいらっしゃってとても残念です。
この歌の元歌は昭和16年12月にできました。
太平洋戦争開戦直後に作詞されたものでした。題名も最初は「星月夜」でした。
その頃レコード作成の材料が乏しく、曲がつけられないままだったそうです。
「星月夜」昭和16年の歌詞は1番2番は今と同じなのですが、3番4番は以下のとおりでした。
3
きれいな きれいな 椰子の島
しっかり護って(まもって) くださいと
ああ 父さんの ご武運を
今夜もひとりで 祈ります
4
大きく 大きく なったなら
兵隊さんだよ うれしいな
ねぇ 母さんよ 僕だって
必ずお国を 護ります
「童謡の謎」 合田道人 より
なんとも、切なくなります。。。
音楽には、歌には力があります。
歌は歌詞は心の奥底に響くもの、戦争中は気運を高める様に作られたりしました。
NHK朝のドラマ「エール」で、曲に励まされ、戦地に向かう兵士、
その兵士の気運を高める場面を見るたびに歌の力は凄い!と、感心してしまいます。
それと同時にとても切ない思いも湧いてしまう、そして今は幸せだなぁと、つくづく感じます。
そう、でもちょっと歌の意味を理解して、戦争があったこと、そして今があること、今の幸せを大事に思ってみませんか?
昭和20年終戦後、「星月夜」は「里の秋」へと歌の題名も変わり、歌詞も1番2番は同じ歌詞、そして3番は次の歌詞に書き換えられました。
さよなら さよなら 椰子の島
お船にゆられて 帰られる
ああ父さんよ ご無事でと
今夜も母さんと 祈ります
そして「外地引揚げの同胞激励の午後」というラジオ番組で初めて発表されました。
そう!南方から兵士たちが日本に帰って来る、その方々をお迎えする曲です。
船の着く港でもこの曲は流れたそうです。
ただ、待ちわびても帰ってこなかった経験をお持ちの方には、やはりこの歌を歌うと胸が熱くなり涙がこぼれてしまいます。
昭和16年の歌詞、昭和20年の終戦後の歌詞、そして今。
皆さんはどんな思いを込めてこの歌を歌いますか?
今、どんな状況であれ、やっぱり幸せですよね!